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美濃の民芸展によせて

 昭和40年代前半に、東京のビヤレストランの要望で、ドイツ風の塩釉ジョッキの生産を試みた。見本のドイツジョッキは、塩釉で少しねずみ色したボディの上に、釉薬が柚子の表面に似た、いわゆる柚子肌の状態の物である。

当時常滑では、塩釉による土管、植木鉢の生産が盛んに行われていた。そしてその手法が、ジョッキの生産に応用できることが分かった。ただしその焼き方は、酸化焼成のため、土管、植木鉢のように赤茶けた仕上がりであった。常滑の陶磁器試験場技官T氏のご協力により、常滑に半製品を運び、試験焼成をお願いした。 焼成結果は、ジョッキの一部に土管特有の赤茶けた色が出たが、なんとか小名田土で制作可能な目途がついた。

 小田井窯では0.7立米ぼどの、焚き口が2つ、倒炎式の小さな窯を築きあげた。バーナーは、送風機と気化器が一体となったもの。すこし出力が大きかったので、扱いにくい代物であった。燃料は、A重油を使用した。

 小名田土で、ジョッキを作り、窯に棚を組み、そこに並べて火入れする。1250℃で還元焼成を終わり、中性炎の状態を保ち、小さなスコップに岩塩をすくい双方の焚き口に一気に投げ込む。焚き口の中は、白く光るほど高温になっているので、岩塩はバチバチと音をたて、白い蒸気に姿を変え、窯の中を駆け巡る。

 詳しいことはわからないが、食塩蒸気が品物の素地に含まれるアルミナ、珪酸成分と化合して品物の表面に釉膜を生成するものと言われる。

 製品が棚に融着するとは知らず、一窯全滅したこともあった。 棚の上に、製品をどのような配置に置くか、製品の浜に何を塗るか、焼成温度は、岩塩の投入量はどれだけか、冷却方法は如何に、等々初めての事ばかりで、試行錯誤の繰返しであった。
 焼成を繰り返すうちに、「こつ」を覚え、まともな製品が生産できるようになった。 その窯に、天目釉や織部釉を掛けた作品を、同時に焼成してみると、今までに見たこともない仕上がりの釉薬となった。思い付くまま、色々な釉薬を作品に施釉し塩釉焼成したものである。

 昭和50年代、高度成長時代に入り、燃料の消費量が増加して、大気汚染が話題になってきた時、この塩釉の焼成法は、大変面白い作品が出来るものの、大気にも、人体にも悪い影響がある為、生産中止を決定した。塩釉に代わる焼成法は開発したが、製品の均一化に難点がある為、生産を断念した。

 瑞浪陶磁資料館に展示させていただいた作品は、先代社長、加藤静男のもとに集まった優れた作陶家の支援のもとに生産された。
美濃焼小田井窯